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灯台下暗し。
物事は身近な事情になれば、かえってその本質が分かりにくくなる。

『連峰は晴れているか』は原作未読エピソードだったので、楽しみだった。
確かに折木奉太郎は入学当初に比べれば成長した。しかし、だからこそ彼がエピソードの終盤、千反田との帰り道に云った言葉は、神の視点で作品を視聴できる視聴者にすれば、重くのしかかったのではないか。

「実際はああいうことがあったのに、小木はヘリが好きだったななんて気楽には言えない。それは無神経ってことだ。そりゃ、さすがに気を付けるさ。無神経というか、あれだ。人の気も知らないでっていう感じだ」

連峰は晴れているか / 折木奉太郎


奉太郎は、無意識に人を傷つける行為をしてしまう可能性があると知り、自らの行動を見直し、戒める。それは、今ままで古典部の活動を通して、様々な人間(事件)を見てきたがゆえに成長できた点なのだろう。

しかし、彼は一番身近な人間を無意識に傷つけてしまっていることに気付いていない。
だからこそ、自分にはこの台詞は悪いジョークにしか思えなかった。
それは近すぎたから気付けなかったのだろうか。それとも、それは折木の傲慢であり、やはり彼は無神経だということだろうか。いや、そもそも人間関係なんて「そんなもの」なのだろうか。

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この『連峰は晴れているか』は、「氷菓事件」「女帝事件」「十文字事件」で綿密に描かれてきた人間模様の一つの区切りであり、『手作りチョコレート事件』『遠まわりする雛』へと繋がる重要なエピソードとなったことは間違いない。

そして、アニメ的に見ても素晴らしかった。
たった30分の中で、これほど様々な感情に包まれたエピソードはあまりない。卓越した演出や脚本の仕事には唸った。それは、今まで彼等を見守ってきた視聴者なら、誰もが感じたことではないだろうか。

作者の米澤穂信さんは、折木の完全性を否定する描写を取り入れているのではないかと感じている。それはほぼ全ての作品で共通していることである。多くを語れば野暮になる。

だから、現時点では折木に云ってやろう。
人の気も知らないで。

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