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「話せば分かる」という大嘘との付き合い方 このエントリーのはてなブックマーク数

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ここ数日、自分は物事を割りきって考えられない人間だということを痛感する。
何も犠牲にしないで、大きな収穫が得られたり、四方八方が丸く納まったりする事がそう有る筈が無い。どこかで「話せば分かる」という気持ちがあるのではないかと感じる。

その点、古代ローマやその他多民族国家は、多種多様な人間がいることを前提として成り立ち、その間では「話しても分からない」ことが歴史的事実として存在するからこそ、さっさと法律で決めるのかもしれない。

社会的モラルには文化的側面が大きく影響する。
例えば、私たち日本人は生活ゴミを道端に捨ててはいけないことを理解している。しかし、そうした文化圏には属さない外国人が、そんな営みを無条件に受け入れるとは限らない。仮に日本で明日から生活ゴミは道端に捨てても良いことになったとしても、私たちは抵抗感を抱くだろう。

異文化から生じる齟齬は、何も異国間でのみ起こることではない。
親の世代と子の世代では明らかな齟齬が生じる。ジェネレーションギャップとかいうやつか。
同世代であっても、考え方や性別、性格が違えば分かり得ないこともあるだろう。

かと言って、上から目線に「だから(分かってないお前に)俺が分からせてやる / 変えてやる」というスタンスで接すると、これがまた新たな問題を起こすことがある。
だから、ある一線を超えると、どうしても「話しても分からない」のだ。
どうせ理解されないのなら、自分の好きにやって理解されないほうがコチラが楽だろう。

同じ日本人でも色々な人間がいるものだ。
「話せば分かる」なんて幻想はさっさと捨てるときに来ているのかもしれない。

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