醜くも美しい世界で生きる僕たちの生存戦略 - 靴ひも

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醜くも美しい世界で生きる僕たちの生存戦略 このエントリーのはてなブックマーク数

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無駄なものなど きっと何一つとしてないさ
突然 訪れる鈍い悲しみであっても

忘れないで君のことを僕は必要としていて
同じようにそれ以上に想ってる人もいる
あなどらないで僕らにはまだやれることがある
手遅れじゃない まだ間に合うさ
この世界は今日も美しい そうだ美しい

Oh Baby 通り雨が上がったら
鼻歌でも歌って歩こう
この醜くも美しい世界で

It's a Wounderful World / Mr.Children


勧められていた「輪るピングドラム」という作品を見終わった。
半信半疑で見始めたものの、あれよあれよと全話視聴。本当に素晴らしい大傑作だった。
この感銘と深い感動を忘れたくないので、少し書き残しておきます。

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私たちがこうして生きている状況は、人智を超えた存在から「運命」という形で一方通行に与えられるものではなく、「私」を含めた、世界中の人間が日々作り、バトンパスされているのだ。「私」は決して一人で生きている存在ではなく、ときには誰かに与え、ときには誰かから与えられて生きている。

あなたから私へ、そして私からあなたへ。「無償の愛」とまでは言わなくとも、「ささやかな優しさ」が回り回って、この醜くも美しい世界を形作っていく。「輪るピングドラム」に登場する世界は、そうした世界の在り方そのものなのだと感じました。

運命・氷の世界


僕は「運命」って言葉が嫌いだ。
生まれ、出会い、別れ。成功と失敗。人生の幸不幸。 それらが予め運命によって決められているのなら、僕たちは何のために生まれてくるんだろう。 裕福な家庭に生まれる人、美しい母親から生まれる人、飢餓や戦争の真っただ中に生まれる人。 それらが全て運命だとすれば、神様ってやつはとんでもなく理不尽で残酷だ。

#01 高倉晶馬


高倉晶馬が言うように、この世界はどこまでも不平等で理不尽な「氷の世界」だ。
キリスト教では「原罪」と呼ばれる概念が存在し、それは人間は「罪」を背負って生まれてくるのだという考え方だ。人間はこの世に生まれることで、有象無象の哀しみや苦悩とともに生きていかなければならない存在となる。高倉家の罪と罰、陽毬に振りかかる不治の病は、この世界の不平等と理不尽の象徴なのだと感じた。

生まれる場所や時代が違うだけで、人の生き方には大きな違いが生まれる。
一昔前は簡単に会社に就職できていたのに、今となっては大不況と就職難。自殺者数は毎年3万人超え。「それらが全て運命だとすれば、神様ってやつはとんでもなく理不尽で残酷だ。」


共同幻想の崩壊


世界はいくつもの箱だよ。
人は体を折り曲げて自分の箱に入るんだ。ずっと一生そのまま、やがて箱の中で忘れちゃうんだ。自分がどんな形をしていたのか、何が好きだったのか、誰を好きだったのか。だからさ、僕は箱から出るんだ。僕は選ばれし者。だからさ、僕はこれからこの世界を壊すんだ。

#23 渡瀬眞悧


彼のこうした思想は、非常に現代的なのではないかと感じた。
バブルの崩壊から続いた長い経済不況と時代の閉塞感。それまで価値があると信じられていた価値観に対する疑問視。眞悧は、そうした現代日本が壊れないように大事に守ってきた共同幻想という価値観を破壊し、新たな新世界を作ろうとしていた。「そんなものに本当に価値があると信じているのか?」「そんな『箱』に閉じ込められたままでは僕たちは一生自由にはなれない」と。

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時籠ゆりは著名な彫刻家を父親に持つ家庭に生まれ、夏芽真砂子やマリオはお金持ちの家庭に生まれる。一般的に見るなら、彼等は幸せなはずなのだ。
しかし、現実はそうではなかった。共同幻想の崩壊。いい大学を出て、いい会社に勤め、いい人生を歩む。今までお題目のように唱えられ、私たちの目の上のたんこぶとなっていたこうした価値観には本当に価値があるのだろうか。

だからこそ眞悧は「ほんとうの幸せ」を探そうと言いたかっただけなのではないかと感じる(勿論、だからといって彼等が行った行為を肯定する意はない)。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』はそんな「ほんとうの幸せ」を探すお話でもある。


「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあの蠍のように本当にみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうの幸は一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。
「僕たちしっかりやろうねえ。」ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。

銀河鉄道の夜 / 宮沢賢治

こうした現代人が抱えた胸のつかえに対して、解答を示したのが「輪るピングドラム」ではないかと感じる。それも、「運命は残酷で抗えないものだ、だから神様に祈ろう」というようなスピリチュアルな方向には逃げず。

「あちら」と「こちら」・二つの世界


「企鵝の会」はこの世界は間違っているという。
この世界の幸福は、どこまで行っても完璧ではなく、不幸と裏腹で、不完全。

でもね、世の中にはそんな風な理由もない悪意が山とあるんだよ。
あたしにも理解できない、あんたにも理解できない。でもそれは確かに存在しているんだ。取り囲まれてるって言ったっていいかもしれないね。

1973年のピンボール / 村上春樹


君は俺にこの街には戦いも憎しみも欲望もないと言った。
それはそれで立派だ。しかし戦いや憎しみや欲望がないということはつまりその逆のものがないということでもある。それは喜びであり、至福であり、愛情だ。愛情があり幻滅があり哀しみがあればこそ、そこに喜びが生まれるんだ。絶望のない至福なんてものはどこにもない。それが俺の言う自然ということさ。

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド / 村上春樹


明るい場所と暗い場所は共存しなければならないの。
全てを明るい光で照らしてしまうと、必ずその反動で暗い場所が明るい場所を攻撃するのよ。

#13 夏芽真砂子


世界には「幸」だけでなく「不幸」も存在する。
しかし、それは片方だけでは成立せず、お互いを受け入れることで初めて互いに成立するものなのだ。つまり、この世界には常に「二つの世界」が存在している。病気になるまでは健康な状態が当たり前なものだと私たちは感じている。しかし、病気にかかったとき初めて、健康な状態が当たり前なものではなかったことに気付く。

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登場人物たちも「二つの世界」を行ったり来たりする。

冠葉たちはプリンセス・オブ・ザ・クリスタルの「生存戦略」の掛け声とともに、突然異世界に飛ばされる。水族館の中を歩いていたはずの陽毬は、知らず知らずの内に眞悧が待つ、異質な図書館へと足を踏み入れている。生きていると思っていた高倉兄妹の両親はとっくの昔に死んでいた。どこからが現実で、どこからが非現実なのか。夢から覚めているのか、まだ夢の続きなのか、境界線が曖昧になる。

登場人物たちはそうした「二つの世界」を行ったり来たりし、最終的にその一番奥に眠るブラックボックスを開けるのだ。

こうした「意識/無意識」「覚醒/非覚醒」「あちらとこちら」という構図は村上春樹作品や、もしくはギリシア神話におけるオルフェウスの「冥府くだり」を想起させるように感じました。図書館での眞悧の役割は『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の「夢読み」を連想させるし、『かえるくん、東京を救う』など、村上作品が劇中でも引き合いに出されます。

結果的に「企鵝の会」は世界を変える(ピースする)ことはできない。
この世界は美しいものだけでは成立しないもの。だからこそ、まずはこの不完全な世界を受け入れないといけない。

受け入れることから始まる生存戦略


この世界は間違えている。
勝ったとか負けたとか、誰の方が上だとか下だとか、儲かるとか儲からないとか、認められたとか認められないとか、選ばれたとか選ばれなかったとか。奴らは人に何かを与えようとはせず、いつも求められることばかり考えている。この世界はそんなつまらないきっと何者にもなれない奴らが支配している。もうここは氷の世界なんだ。今こそ取り戻そう、本当のことだけで人が生きられる美しい世界を。これが我々の生存戦略なのだ。

#20 高倉剣山


極端にいえば、私たちは望んでこの世に生まれてきたのではない。
赤ちゃんはこの世に泣きながら生まれてくる。
では、「神様」に創られた存在なのだろうか。「運命」はやはり存在するのか。


創造主よ、土塊からわたしを人のかたちにつくってくれと頼んだことがあったか?
暗黒からわたしを起こしてくれと、お願いしたことがあったか?

失楽園 / ミルトン

それは違う。私たちは同じ人間から生まれてくるのだ。
これは、この世界が「神様」という人智を超えた存在ではなく、同じ人間によって作られていることを意味する。つまりそれは「私」もまたこの世界を形作っているということだ。この世界がどんなに理不尽で不公平であっても、まずはそれを受け入れることでしか生存戦略は始められない。それは「企鵝の会」のように、一発逆転的なテロ行為で覆せるものではない。

視座の転換・肯定的な死


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ネット上の感想を読んでいると、所々で「自己犠牲」という言葉を見かけるが、それは少し違うのではないかと感じる。荻野目苹果が「運命の乗り換え」を実行する呪文を唱える際、「蠍の炎」という言葉が浮かび上がる。これは『銀河鉄道の夜』における「蠍の火」に相当するものだろう。

これは、それまで小さい虫を殺して食べていた蠍が、イタチに食べられそうになったとき、自分は何故イタチから逃げたのかと自問することから始まる。なぜなら、もしもイタチに食べられていたなら、食べたイタチは数日生き延びることができたからだ。そして蠍は自ら死を受け入れ、「みんなの幸せ」のために闇夜を照らす赤い火となるというお話だ。

『銀河鉄道の夜』には似た主題として、青年と少年少女の話が出てくる。
乗っていた船が沈没する最中、青年は他人を犠牲にして自分たちが生き残ろうとするが、それを「罪」であると認め、自ら死を肯定的に捉え、死んでいく。そして彼等は銀河鉄道の中で燈台守から林檎を受け取る。

少年A「だからさ、林檎は宇宙そのものなんだよ。
    手の平に乗る宇宙。この世界とあっちの世界を繋ぐものだよ。」
少年B「あっちの世界?」

少年A「カムパネルラや他の乗客が向かってる世界だよ。」
少年B「それと林檎になんの関係があるんだ?」

少年A「つまり、林檎は愛による死を自ら選択した者へのご褒美でもあるんだよ。」
少年B「でも、死んだら全部お終いじゃん。」

少年A「お終いじゃないよ!
    むしろ、そこから始まるって賢治は言いたいんだ。」
少年B「わかんねぇよ。」

少年A「愛の話なんだよ?なんで分かんないのかなぁ~。」

#01 少年A・B


ここで重要なことは、「自己犠牲」というよりも、私たちは「与える側」であると同時に「与えられる側」なのだという視座の転換なのではないかと感じる。

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高倉冠葉の血の繋がらない弟である晶馬は、自分の命が冠葉のくれた「半分の林檎」で救われたことを、最終話で思い出す。この「半分の林檎」は、自分の生きている世界が、人智を超えた「運命」という存在によって保たれたものではなく、人間の「ささやかな優しさ」や「愛」、たった半分だけの林檎のようなものによって作られているのだということを示す。

そして「私」もまた、それを与え、与えられる存在になる。
「私」は回り回って、この不完全で醜くも、美しい世界を形作る。

愛してる


「君と僕はあらかじめ失われた子どもだった。
でも世界中のほとんどの子ども達は僕らと一緒だよ。
だからたった一度でもいい、だれかの愛してるって言葉が必要だった」

「たとえ運命がすべてを奪ったとしても。
愛された子どもはきっと幸せを見つけられる。
私たちはそれをするために世界に残されたのね」

#24 多蕗桂樹・時籠ゆり


誰かを愛し、誰かに愛されることは生きることに意味を与える。
愛が失われた子どもは「透明な人間」となり、「こどもブロイラー」に送られる。愛が失われた子どもは「箱」に閉じ込められ、与えられるべき「愛」に飢えている。「愛」が欠如した人間は不必要となり、存在しないも同然となる。

君たちは決して呪いから出ることはできない。
僕がそうであるように、箱の中の君たちが何かを得ることなどない。この世界に何も残せず、ただ消えるんだ。塵一つ残せないのさ。君たちは絶対に幸せになんかなれない。

#24 渡瀬眞悧


そういう意味で、眞悧は愛も目的も見つけられず、冠葉が晶馬にしたように手を差し伸べられもしなかったんだろう。彼は他の人達との壁となる彼自身の「箱」の中にずっと一人きりで、世界を憎み、破壊しようとしていた哀しい男なのだ。それも彼が選んだ生存戦略だったのかもしれない。

しかし、その「箱」を超えて人は人を愛することが出来る。
たとえこの世界で、たくさんの不幸や理不尽なことに出会っても、冠葉が「箱」の中で見つけた林檎、陽毬が冠葉に与えた絆創膏、晶馬を愛した荻野目苹果、晶馬が陽鞠に、陽毬が冠葉に与えた林檎、陽毬の頭に残った傷跡、ぬいぐるみに入ったメモのように、「私」の周りには、この世界を作っている人々が自分のために残し、与えてくれた様々な痕跡があるのだ。それは自分が誰かを愛し、誰かに愛された証。人は決して一人で生きているのではない。

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私たちは与えるものであり、与えられるもの。それが回り回ってこの世界を作り上げている。
決して「運命」が形作っているものではなく、私たちはその参加者なのだ。

この世界が不完全なものと受け入れ、人に何かを与える。
だからこの世界が自分の選んだものではないこと、自分の意思だけではどうにもならないことを嘆く必要はないのだ。たとえこの世界が冷たい「氷の世界」であっても、そんな世界を力強く生き抜くペンギンたちのように、至るところに愛の痕跡を見いだせるこの世界で生存戦略していける。

そんなブラックボックスを開けることができた兄妹たちは、くるりと回転する。
そして、不完全だけれど、至るところに愛の痕跡を見いだせるこの世界、まさに私たちが生きているこの世界に、戻ってくることができたのだ。

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私は運命って言葉が好き。
信じてるよ。いつだって、一人なんかじゃない。

#24 高倉陽鞠


だから忘れないで、君のことを僕は必要としていて、同じようにそれ以上に想ってる人もいる。通り雨が上がったら、鼻歌でも歌って歩こう。この醜くも美しい世界を、どこまでも、どこまでも。


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