2012年08月 - 靴ひも

靴ひも

Life, Music, Book, Gadget

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アリとキリギリス このエントリーのはてなブックマーク数

Category : Diary | on

夏の間、アリはせっせと働いていた。食料が乏しくなる冬に備えてだ。
キリギリスはアリたちの姿を笑う。彼にとっては今が全てであり、享楽的な生活をしている。
冬が来ると立場は逆転する。翻って、地道に勤勉に働くことの美徳を説いているのだろう。

しかし、この寓話は3.11以後の現代にそのまま当てはまるのだろうか。
3.11は、アリのように慎ましく、勤勉に暮らしていた人間でさえ、場合によってはキリギリスのようになってしまうということを露呈させた。誰が悪いわけでもない。ただ、それは起こったのだ。震災、津波、原発事故は真面目に生きてきた人々からさえもあらゆる機会を奪った。

そもそもアリが安全に冬を越せたことも、見方を変えれば「ただ運が良かっただけ」なのである。いつ人間に巣を破壊されるか分からないし、天災が襲うかわからない。

アリの生き方には賛同する。それは生きる上で最低限必要なことだろう。
しかし、先の見えない社会では、こうした価値観ですら揺らぎ、揺蕩う。
アリが正しいのか、それともキリギリスが正しいのか。

この寓話が突きつけている問題は、想像以上に重い。

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バットマンの死とブルースの生還 -『ダークナイト・ライジング』クリストファー・ノーラン 監督 このエントリーのはてなブックマーク数

Category : Movie | on

あるアメリカ人脚本家は、物語の構造には2通りしかないと話す。
それは、「穴に落ちた人間が穴の中で死ぬ」物語と、「穴に落ちた人間が穴から出る」物語だ。世界中には様々な物語があれど、必ずこの基本構造から成り立つとする仮説だという。

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「ビギンズ」で文字通り“穴に落ちた”ブルース・ウェインは、街を守護する正義の番人バットマンとなることで“穴から出た”。しかし彼は「ダークナイト」で、ジョーカーという規格外の悪と対峙し、また“穴に落とされる”ことになる。よって、“再び穴に落ちた”バットマンが、“穴から出る物語”が、この「ダークナイト・ライジング」なのだろう。

「Why do we fall?」(人はなぜ落ちる?)
「We can learn to pick ourselves up.」(這い上がるためだ)

バットマン・ビギンズ / トーマス・ウェイン


しかし、穴から這い上がるには、その前提として「自分が穴に落ちている」という自覚がなければならない。では、バットマン、特に「ライジング」における「穴」とは何に当たるのか。

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それは「バットマンであること」そのものだろう。
ブルースは気付かない振りをしながらも、心の奥底では苦悩していた。
自分がバットマンでなければレイチェルは死ななかったかもしれないし、ジョーカーやトゥーフェイスという怪人は生まれなかったかもしれない。そして、ブルース以外で唯一そのことに気付いていたのがアルフレッドだったのだ。彼は変態コスプレ癖のある主人に対して断固マジレスする。

「The city needs Bruce Wayne, your resources, your knowledge. It doesn't need your body or life. 」(ゴッサムが必要としているのは、あなたの知恵と財力だ。あなたの人生ではない)

ダークナイト・ライジング / アルフレッド・ペニーワース


「ダークナイト・ライジング」で、ブルースは「穴」から這い出す(注1)。
逆に云えば、バットマンは「穴」の中で死んだのだ(注2)。この映画が描いたものは「ヒーローの引退劇」であり、「新たなヒーローの誕生劇」。そして「ダークナイト」で描かれた光景と真逆の光景を観客に投げかける。ヒーローは自らの幸せを得たのだ。

「ダークナイト」のこの上もなく痛切なラストも素晴らしいが、「ダークナイト・ライジング」の幸福感と高揚感に溢れるラストはさらに素晴らしい。互いに微笑むブルースとアルフレッドの姿には涙した。


(注1)
劇中出てくる「奈落」では「かつて奈落から出た男がいた」という台詞が用いられるが、あれはベインであると同時にブルースそのものなのだろう。こうした脚本が非常に巧い。
(注2)
「新たなヒーローの誕生」に立ち会ったからこそ、バットマンは死を選んだ。


連峰は晴れていたのか このエントリーのはてなブックマーク数

Category : Anime | on

灯台下暗し。
物事は身近な事情になれば、かえってその本質が分かりにくくなる。

『連峰は晴れているか』は原作未読エピソードだったので、楽しみだった。
確かに折木奉太郎は入学当初に比べれば成長した。しかし、だからこそ彼がエピソードの終盤、千反田との帰り道に云った言葉は、神の視点で作品を視聴できる視聴者にすれば、重くのしかかったのではないか。

「実際はああいうことがあったのに、小木はヘリが好きだったななんて気楽には言えない。それは無神経ってことだ。そりゃ、さすがに気を付けるさ。無神経というか、あれだ。人の気も知らないでっていう感じだ」

連峰は晴れているか / 折木奉太郎


奉太郎は、無意識に人を傷つける行為をしてしまう可能性があると知り、自らの行動を見直し、戒める。それは、今ままで古典部の活動を通して、様々な人間(事件)を見てきたがゆえに成長できた点なのだろう。

しかし、彼は一番身近な人間を無意識に傷つけてしまっていることに気付いていない。
だからこそ、自分にはこの台詞は悪いジョークにしか思えなかった。
それは近すぎたから気付けなかったのだろうか。それとも、それは折木の傲慢であり、やはり彼は無神経だということだろうか。いや、そもそも人間関係なんて「そんなもの」なのだろうか。

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この『連峰は晴れているか』は、「氷菓事件」「女帝事件」「十文字事件」で綿密に描かれてきた人間模様の一つの区切りであり、『手作りチョコレート事件』『遠まわりする雛』へと繋がる重要なエピソードとなったことは間違いない。

そして、アニメ的に見ても素晴らしかった。
たった30分の中で、これほど様々な感情に包まれたエピソードはあまりない。卓越した演出や脚本の仕事には唸った。それは、今まで彼等を見守ってきた視聴者なら、誰もが感じたことではないだろうか。

作者の米澤穂信さんは、折木の完全性を否定する描写を取り入れているのではないかと感じている。それはほぼ全ての作品で共通していることである。多くを語れば野暮になる。

だから、現時点では折木に云ってやろう。
人の気も知らないで。

ユニクロと無印良品 このエントリーのはてなブックマーク数

Category : Diary | on

STYLE BOOK - UNIQLO ユニクロ

ユニクロの商品は嫌いではないのだけれど、彼等が広告に使っているモデルと商品が釣り合っていないのではないかと感じる。元々持っている安っぽさに加えて、商品に不釣り合いな外国人モデルが妙な安っぽさを醸し出しているように感じてしまうのだと思う。

衣料品 2012 秋冬|コーディネートカタログ 婦人|無印良品ネットストア-1

対して無印良品が広告に使っているモデルの「等身大さ」が好きだ。
ちょいブサな可愛さに愛嬌があり、日常でこの服を着ているイメージが浮かびやすい。
ユニクロのモデルがブラウザを閉じてしまえば5秒後には忘れてしまいそうなのに対して、無印良品はモデルの素材を生かし、その着衣とともにモデル自身も印象に残る。

乱暴に云ってしまえば、服がその人の雰囲気に合っていないのだろう。
服は人が着ることで初めて機能し、その人間を構成する要素となる。誰か人と会った後、そのファッションだけが相手の印象に残るような人間にはなりたくないものだ。


人を知ることの難しさ - 『おおかみこどもの雨と雪』 細田守 監督 このエントリーのはてなブックマーク数

Category : Movie | on

映画「おおかみこどもの雨と雪」予告3 - YouTube

こういう家族の形もあるのだろう。

数こそ多くはないものの、自分にもそれなりに友達がいる。
小学校からの付き合いの人間もいれば、大学で知り合った人間もいる。しかし、ふと「彼等は今までどんな環境で育ってきたんだろう」と考える。子どもがいれば、その親がいる。当たり前のことである。そして、それだけ異なる家族の形があるのだろう。

同じ団地でも家の中はまるで違うんだ。
お金のある家、赤ん坊のいる家、年寄りだけの家。

おおかみこどもの雨と雪 / 彼(おおかみおとこ)


「おおかみこどもの雨と雪」を見て、そんな当たり前のことに思いを巡らせる。
子どもは親の希望する道を歩むとは限らないし、ときには親の目の届かない場所で成長する場合もある。そうして目の前に現れた選択肢の中から、何かを選び、何かを捨てて、みんな成長してきたのだろう。

かと云って、みんながみんな「本当のこと」で成り立っているわけではない。
ときには草平のように「本当のこと」を笑って話せる人間になりたいと思うし、ときには雪のように胸に秘めた「本当のこと」を心の隅にそっと閉まっておきたいと思う。

自分の身の回りの人間も、色々なことを経験して、今自分の目の前にいるのだろう。
だが、それもまたその人間の断片にすぎない。「一人の人間を知る」ということは、想像以上に難しいことなのかもしれない。しかし、そう想うと何やら感慨深いものを感じるのだ。


文章力という言葉の無邪気さ このエントリーのはてなブックマーク数

Category : Diary | on

「力」と付く言葉には、どうも曖昧な言葉が多い。
最近だと「女子力」という言葉がある。女子の力とは一体何だろう。

これに似た言葉で「文章力」という言葉がある。
いわゆる「文章力向上」を謳う本やネットエントリーは沢山あるが、「文章を短くする」とか「インプットがどうのアウトプットがどうの」とか、ひどく曖昧なものが大半である。そもそも「文章力」という言葉の意味自体が判然としないのだから、その力を向上させる方法に至ってはさらに曖昧なものになる。

どんな場においても、まず重要なことは伝えたいことを自らが理解することだろうと思う。
ブログを書いていて感じることだが、自分でも何を書きたいのかよく分からないときは妙に時間がかかる。そういうときは書くのを止めたほうがいい。相手にどういうことを伝えないといけないのか理解できていないと、作業の前提が成立しない。

そして「文章力を向上させたい」と漠然と感じている人は端から見込みがない。
文章の表現力(ここでも曖昧な言葉が!)にボトルネックを感じている人なら「表現の幅を広げたい」と感じるはずだろう。

「文章力を向上させたい」というのは「強くなりたい」と言っているようなものだ。
そんな曖昧な目標には、全方位的な、毒にも薬にもならない漠然とした答えしか出ないのは当たり前なのだろう。

4年の月日 このエントリーのはてなブックマーク数

Category : Diary | on

オリンピックで敗退した選手に「4年後を目指して頑張ってください」と告げる。

選手たちがどんな人生を歩んできたのかは知らないものの、オリンピックに出場するくらいだから、血のにじむような特訓の日々を過ごしてきたのだろう。そうして毎日毎日積み上げてきたものが、一瞬で崩れ落ちる。選手が抱える絶望感と慟哭の念は計り知れないものだろう。
まともな人間なら「4年後を目指して頑張ればいい」なんて言葉はかけられない。

そこでふと我に返る。
自分は4年後どこで何をしているんだろう。
もしかしたら日本に居ないかもしれない。下手をすれば生きているのかも分からない。
考えていると、妙にソワソワした気分になる。

しゃにむに頑張れば夢が叶うものでもないし、メダルを獲得できるものでもない。
4年の月日をどう過ごし、4年後どうなっていたいのか。選手たちから突き付けられているような気持ちになる。

矛盾と自覚 このエントリーのはてなブックマーク数

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「自分は絶対に交通事故を起こさない」という人間と「いつか交通事故を起こすかもしれない」という人間がいたとして、どちらが交通事故を起こす確立は高いのだろう。

明確な答えは出せないものの、「ときには自分が他者にとって狂気になる」という自覚を持っているか否かで両者は異なる。言い換えれば、「自分の矛盾に自覚的であるか否か」ということだろう。こうした、人間が潜在的に抱えている矛盾や論理の破綻に無自覚であることは少し危険だなと最近感じる。

17年前、ある宗教団体が大きな事件を起こしたが、あの団体に所属していた人間が特別狂っていたというわけでもないように思う。同じように、最近ある中学校で起こったことが話題になったが、あの問題がそもそも「ないもの」という前提で語られることに違和感を感じる。

あっちの世界とこっちの世界に明確に線引することは可能なのだろうか。
線引すること自体は肯定的に捉えるものの、ではその線引が本質的なものなのか。

こういうことを考えていると、犯罪を犯した人間と犯さなかった人間の壁というのは、想像以上に薄く曖昧なものなのではないかと思える。勧善懲悪、完全無欠な判りやすい登場人物は現実には存在せず、そこには自己に矛盾を抱えた人間がいるだけなのだろう。
誰しもが、いつか交通事故を起こすかもしれない存在なのだ。

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